群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「天国の扉」 ボブ・ディラン

10月5日の亨進様説教から引用します。

私達の子供たちのような場合、私たちはゴスペル、ゴスペルラップ!ゴスペルの音楽!ゴスぺルの賛美!そのような音楽を継続して聴いています。何故!その振動を受けたら 審美の振動を受けたら 自分の体が…それを見たでしょう。UC子供マクベス、お?自分の体が変わってきます。力、力が強くなります。聖霊の力を受けます。神様を賛美する力を受けます!う~

「UC子供マクベス」というのは、私には不明です。
しかし、とにかく「ゴスペル」は良いということです。


4月26日の当ブログから引用します。

私の作詞作曲の趣味は、上記の方々と比べれば恥ずかしいものです。

聞く方の趣味では、インターネット上のハンドルネーム「Bob」の動機であるボブ・ディランにも、「ゴスペル・ロック」の時代がありました。

その名も「Saved」(救われた)というアルバムは全編ゴスペル・ロックです。

その前作「Slow Train Coming」から、その傾向は始まりました。

(中略)

当時、1980年に大学を卒業し、証券会社の「サタン世界」に飛び込もうとしていた私が、その意味を分かるのは、ずっと後のことです。

当時の私にとって、ボブ・ディランは「アイドル」、まさに「偶像」でした。
何しろフォーク・ミュージックの「神様」とも呼ばれた人です。


1978年の初来日と、1986年の2回目来日で、コンサートに行きました。
初来日で買った、手つかずの公式Tシャツは、きっと高くオークションできると思っています。


レコードは全部、買っていました。
しかし1990年に統一教会に導かれて以降、「イサク献祭」として止めました。


近年になって、別のものを「イサク献祭」した後、聴き直していました。
私の過去を知っている人は、今回のノーベル賞受賞で、私に「お祝い」のメッセージをくれました。


10月9日の亨進様の説教は、「王国の扉 The Kingdom’s door」です。
ボブ・ディランの代表曲の一つは、 「天国の扉 Knocking on heaven's door」です。


2回目来日のアンコール曲として、名演奏されました。
死にゆく人の情景(元々は、映画「ビリー・ザ・キッド」の挿入歌)です。

ママ、僕の顔から涙をぬぐって。

涙が邪魔で、もう見えない。

ここから連れ出して。

どこか他の場所へ。

僕は天国の扉を叩いているような気がする。

前に何度も、そうしていたように。


その1年前、1985年から「求道」を始めていた私は、その3年後、1989年にビデオ・センターに通い始めました。
4年間叩いて、「死にゆく人」に「天国の扉」が開かれました。



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
         任命式の映像はこちら

×

非ログインユーザーとして返信する