「自由と責任」で追求する「自己否定」 質疑応答の御言葉から
「み旨の道」346頁から引用します。
率直でありなさい!
率直な人は残される。
率直な人は環境を継承することができる。
翻訳に感謝申し上げます。
亨進様のとても率直な御言葉です。
「釣りは好きではありません」
私だって、釣りは好きではありません。私自身、海に出るのが好きではありません。私は海に出ると具合が悪くなってしまいます。3メートルの高波に揺られて、大洋にでていって、楽しくなんかありません。好きではありません。私の妻なんて、それどころか大嫌いなんです。(強調されて)彼女は船の底で横たわっています!!妻はいつも船の底にいます。
「武術なんか好きではありません」
ここに来ると人々は皆驚くのですが、私の妻は、武術なんか好きではありません。ブラジリアン柔術なんてとんでもないです。彼女はアーティストなんです!子供たちが読む絵本を描いているような女性です。彼女は、武道に対して、一切の興味を持っていません。しかし、彼女は自分自身を奮いたたせ、挑戦しています。なぜなら、彼女の主体者と、彼女の王様、武道に対して熱心であるからです。
そして、次です。
「どんなところでも行かなければならない」
私は私の願望や欲望を追求しません、私はそれを超えていきます、という姿勢です。これが、韓お母様がしなければならないことでした。イスラエルというのは、どういう意味だったでしょうか?『神様と取っ組み合いをした人』という意味です。『戦い抜いた人』です。そして、神様の願いと、完全に一つになりました。私たちも、お父様に対してそのようでなければなりません。私たちの、全ての願望、全ての欲求を、捨て去らなければなりません。皆無です。お父様が行かれるところであれば、どんなところでも行かなければならないのです。
もちろん御母様だけでなく、私達皆の問題です。
「王の喜びなのか」
問題は彼女が彼女の王の願いを優先し、この欲求を主管していたかどうかです。彼女の喜びなのか、それとも王の喜びなのか。王の幸せが、彼女自身の幸せなのか。わかりますね?
天聖経585頁の御言葉を思い出しました。
「神様の為のものでしょうか」
自分自身の生活で、自分が何を食べて、何を買って売ってという全てが、誰の為のものでしょうか。自分の為のものでしょうか、神様の為のものでしょうか。
御父様は神様のため、亨進様は御父様のため、妍雅様は亨進様のため、「自己否定」が可能になりました。
「ために生きる」ことは、私達皆の「自由と責任」です。
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