天一国憲法による「最後の審判」 世界経典と7月24日の亨進様説教から
世界経典730頁から引用します。
文鮮明先生は、最後の審判は過去の罪悪の伝統が消え、すべての人たちが地上天国を建設するために尽力する時代に転換する時に起きる過程的現象であると教える。
(中略)
その時、人々は、自分たちの罪を悟り、神様のみ言の審判を受け入れ、あらゆる罪悪と堕落性を根本的に取り除き、日常生活で真理のみ言を具現することによって、段階的に神様の民に変貌していくのである。
1.段階的な変貌
先後しますが、まず、後半部分を見ます。
「あらゆる罪悪と堕落性を根本的に取り除き」とは言え、「即座に」ではなく「段階的に神様の民に変貌していく」ということです。
3月23日の当ブログ「『悪』のある地上天国 原理講論との整合性」で考えた問題です。
可能性としての「悪」や、「過渡的」な悪は残るということです。
7月24日の亨進様説教から引用します。
イエスが再臨するときには悪がなくなる、獅子が子羊といっしょに横たわるという考えは、聖書に基づくものとは言えません。なぜなら神様は自由意思を与えているからです。自由意思を持っている限り、神を怒らせ、神から去り、神を憎むことを選択する人々もいます。完ぺきな理想的エデンの園に自由と責任があったのとまったく同じように、神の国でも自由と責任があるのです。
2.最後の審判
前半部分に戻ります。
「最後の審判は過去の罪悪の伝統が消え、すべての人たちが地上天国を建設するために尽力する時代に転換する」ということです。
上記の説教の続きを引用します。
社会の性質、つまり、天一国憲法は権力の集中と独占を支持しませんので、人々は十戒に従いたいと思うようになります。なぜなら、人々は、倫理的に行動しなければ、誰も取引をしてくれなくなり、評判も悪くなり、何をしてもうまくいかないからです。自由があると道徳的に行動しなければなりません。そうせざるを得ないのです。神様を信じないので非道徳的に行動すれば、誰も取引をしてくれなくなります。誰も信頼してくれず、推薦してくれず、助けてくれません。ですから、もし神様を信じておらず、神様が嫌いだったとしても、十戒に合わせて行動しなければならないでしょう。それでも道徳的に行動しなければならないのです。
「罪悪の伝統」とは、「権力の集中と独占」です。
スーパーエリートや、家庭連合を始め、Rタイプが目指すものです。
道徳と関係ない「利権」です。
Rタイプに支配されないように、騙されないように、「自由」が大切です。
「真実」を求める「自由」です。
世界経典732頁から引用して終わります。
クルアーン(イスラーム)
なんじらのどんな秘密も隠しおおせないであろう。
コリントの信徒への手紙一(キリスト教)
おのおのの仕事は明るみに出されます。
かの日にそれは明らかにされるのです。
なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
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