その6「再臨論」 伝道用 原理本体諭の要約
7月25日の当ブログの続きです。
再臨主
再び来られる主、すなわち再臨主は、キリスト教においてだけで待つべきお方ではありません。
仏教でも弥勒信仰があり、それ相応の準備をして、弥勒菩薩が来られるのを待っています。
弥勒菩薩は仏教でいう再臨の仏です。
儒教でも孔子を尊敬して慕っている信仰者たちが、新孔子の出現を待っています。
彼らが願う新孔子は再臨の孔子なのです。
このように、宗教ごとに再臨を願う信仰があります。
しかし再臨主と弥勒菩薩と新孔子が、それぞれ別々に来られるのではありません。
結局、すべての再臨の信仰は、神様を父母として侍る神様の息子一人に帰結されます。
(782頁)
キリスト教の中心に再臨なさるメシヤは、すべての宗教の教祖たちが地上で成そうとした目的を一括して完成するために来られるので、使命から見たとき、すべての教祖たちの代身者となるのです。
(831頁)
再臨の時期
マラキ預言者が現れ、メシヤ降臨準備時代を宣言して(400年後に)イエス様が来られたように、ルターが宗教改革を起こして、メシヤ再降臨準備時代を出発してから400年以後に、メシヤが来られるというのです。
(723頁)
1517年にルターが宗教改革を行なったので、その1517年に400年を加えると1917年になります。
(802頁)
再臨の場所
イギリスの歴史学者トインビー(1889~1975)は、これから世界の政治・経済問題はアメリカとソ連などの強大国が解決しなければならないが、世界の思想問題は、東洋から新しい宗教が出てきて解決するだろうと予言しました。
(832頁)
ヨハネの黙示録7章2節と3節を見ると、「もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。
(中略)
大声で叫んで言った、『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない』」とあります。
またヨハネの黙示録14章1節には
「(中略)また、十四万四千の人々が子羊と共におり、その額に子羊の名とその父の名とが書かれていた」というみ言があります。
子羊は再び来られる主を意味します。
子羊である再臨主が日の出る所、すなわち東方に来られるというのです。
(808頁)
韓国
共産主義はアダム家庭から始まったカイン型人生観が、また民主主義はアダム家庭から始まったアベル型人生観が、近代になって最後に実を結んだものなのです。
(750頁・751頁)
共産主義とキリスト教国家であるアメリカ・イギリスを中心とした民主主義、この二つの思潮が韓国に入ってきて衝突しました。
一つは中国大陸を通して、もう一つは太平洋を渡って韓国で出会いました。
(819頁)
韓半島は神様の一線であると同時にサタンの一線です。
引き裂かれて血を流し、供え物をささげる祭物国家だというのです。
(821頁)
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