劉会長による原理本体論(当時)の問題点
753頁から引用します。
国民の10パーセントにあたる貴族と聖職者階級が、国民の90パーセントにあたる市民の税金と勤労によって裕福な暮らしをしていたので、市民階級が反発して革命を起こすようになります。
フランス革命に関する記述です。
しかし「統一教会」を思い出します。
劉会長は、思い出さなかったでしょうか?
766頁から引用します。
共栄とは、利己主義を克服して、人権と機会を保障し、権力と名誉を共有することです。
権力のある者だけが報われて、権力のない者は悲惨であるとか、
名誉ある者は有名になり、名誉のない者は名前も知られずに暮らさなければならない社会は、理想社会ではないのです。
「統一教会」を思い出さなかったでしょうか?
「統一教会」の間違いの原因は、同じ頁にあります。
理想世界での共生は、経済共同体として分配が中心となります。
本然の経済的共同体は、生産が中心ではなく、分配が中心だというのです。
755頁にもあります。
本然の理想社会の経済体制は、生産ばかりするのではなく、
生産したものを
どのように国民に平等に分け与えるのかという、
分配正義が核心となるのです。
亨進様と國進様が、「生産」を重視するのと正反対です。
「結果の不平等」を認めているのと正反対です。
「社会主義」に陥っています。
「分配」するのは誰でしょうか?
「最高委員会」のような「寡頭制」を想定していなかったでしょうか?
「平等」のために、「少数の幹部に全てを委ねよ」と考えていなかったでしょうか?
「10パーセント」と「90パーセント」との不平等ではなく、「99.99パーセント」を「平等」にするから、それで良いと考えていなかったでしょうか?
その思想では、「人権と機会」も、「権力と名誉」も、少数の幹部が「管理」するのではないでしょうか?
766頁から767頁にかけて引用します。
政治共同体は治めるのではなく、管理が中心となります。
(中略)
親がどのようにして子どもを正しく育てるべきか、悩みながら管理するのです。
「自由と責任」がありません。
国民は、いつまでも「子ども」のままです。
御母様の子宮神学に似ています。
今や、劉会長が、子宮から出て来られたのは幸いです。
亨進様と國進様の「天一国憲法」のお陰です。
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