群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

草創期の信仰

ブログ「三大王権・真の御父様に帰ろう!」の「2015年8月12日 韓国語説教 『麻の布と灰』」から引用させて頂きます。


ヨナ様のメッセージです。


>私たちが始めてペンシルベニアに来るようになったとき、そこには私たち家庭と、国進様家庭しかいませんでした。


>初めの週の日曜日、礼拝をしたのですが、家の居間に何もなく、床が冷たかったので、青いビニールを敷いて、国進様家庭と共に簡単に礼拝を捧げました。
>そのとき、私の心の中では涙があふれていました。お父様の伝統と栄光を高めるという大きな使命を持ってここに来たわけですが、一体どうやって、何から始めたらいいのか、、。
>この2家庭しかいないのに、お父様が真のカインとアベルとして立ててくださいましたが、ここでどうやって何をはじめたらいいのか、、本当に途方にくれていました。


>その後、礼拝を公開し始め、シックたちが三々五々来るのをみながら、草創期当時、お父様はきっとこういう心情だったのだろうなと、シックたち一人ひとり、ただ来るのではなく、神様が送ってくださっているのだなと、本当につよい絆を感じ、お父様に対する深い感謝でいっぱいでした。


>ですが、次第にシックたちが多くなるにつれて、ご飯が足らなくなりました。
数週間の間、ご飯が早くなくなるので、私は心配になりました。お米を見ながら悩みました(笑)。2つの電気釜があってもたりなかいのか~と。


>そして、そのことを神様に切実に祈祷をしたわけでもなく、お父様、少しお助けくださいと、このように祈祷をしたところ、次の週にあるシックの方が30人用電気釜を持ってきてくれたのです。
>その方が寿司の店を運営していたのですが、高齢になりその店を閉めたので、残った電気釜とお米を持ってきてくれたということでした。
>その方は始めてこられた方でした。なので、私は本当に驚きました。お父様は私の小さな取るに足らない祈祷にも答えてくださるのだなと、強く感じました。そして、とても感謝をしました。


>なので、大変なとき、この道を行けるのかと悩むとき、フェイスブックや手紙を通して、多くのシックたちが激励してくださり、また自分にもお父様が尋ねてきてくださいましたと霊的な証をしてくださり、その度に、お父様は本当に生きておられ、役事されているのだなと、また、お父様の草創期のその当時の心情で、私たちを訓練されていらっしゃるのだなと、たくさん感じました。


『草創期の御言葉(二)』より、1956年5月16日の御父様の祈祷を引用します。


>取るに足りない少数の群れでありますが、3千万民族に代わってアベル的な祭壇を積むように許諾して下さい。


>父の御前に喜びの祭物として現れ、感謝の敬拝を捧げることのできる子女が3千万民衆の中に多くなるように許諾して下さい。24億人類の中に多くなるように許諾して下さい。


>父を喜びと栄光の中でお迎えできる子女の群れが津々浦々に現れるように許諾して下さることを、愛するお父様、切にお願い致します。


>お父様、眠れる聖衆を目覚めさせて下さい。


>このために立てられようとする子女を早く立てて下さり、召されようとする子女を早く呼んで下さい。


アージュ!
「日本サンクチュアリ教会」も「埼玉サンクチュアリ教会」も、草創期の信仰を立てようとしています。




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