悪の勢力にとって危険な者
2016年4月24日の亨進様説教から引用します。
神様の前に謙遜であることは時にサタンに対して粗野であることを意味します。
神様に従順であるためには時に自分と家族を抑圧するサタンに対して攻撃的で厄介な存在であることも必要なのです。
そのような悪の勢力にとって危険な者になることも必要なのです。
しかし私たちはこれを相対主義的な独りよがりの哲学で解釈してしまいがちです。
神様の前に謙遜であるために自分はすべての人にとって良い人にならなければならないなどと考えるのです。
自分を犯そうとする者に対し良い人であっていい訳がありません。
繰り返し語られている「悪との戦い」の重要性です。
「あれも、これも、構わない」という「相対主義」の否定です。
放置すべきでない「悪」があります。
キリストに対して謙遜であれというのです。ここがポイントです。
「わたしを信ずるこれらの小さい者」の「わたしを信ずる」が重要です。
「御父様にも間違いがある」などと考え始めたら、全てのものが崩れます。
「御父様よりも自分が正しい」という「自己崇拝」です。
「不信の種」は「悪」です。
育てば、もちろん火に投げ入れられます。
その前から、自分にできる範囲で守ります。
私達には、絶対的な基準、「不動の岩」が必要です。
4月10日式典後の懇談会のみ言葉を引用して終わります。
訪米時によく利用されるホテルは、「コンフォート・イン」チェーンの「ポコノ・レイクス・リージョン」館です。
多くの「巡礼者」が訪れることができるように願っています。
ここはニューファンドランド(New found land:新たに見いだされた地)。
近くにはプロミストランド公園(Promised Land:約束の地)があります。
また近くにポコノ山地があり、このポコノというのは岩という意味です。
聖書で岩はキリストとあります。
キリストは私たちの救いの岩です。
これらすべてのことがあって、素晴らしいポコノの人たちと出会いました。
このあたりの世捨て人です。(笑)
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