群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「移住」に必要なみ言葉

2016年2月15日韓国食口懇談会の亨進様のみ言葉から引用します。

お父様と直接的な生活を送らなければなりません。

お父様の手をつかみお父様の胸もさわってみて耳もさわってみてひげを眺めて(笑)お父様の香りをかぎながら「あぁ、お父様がおられる…」驚くほどの超自然的な生活を送らなければなりません。


どのような生活よりもさらに(こわい)強く、近くで暮らす生活。

太陽の光が射しているとき全自然が光を受けて成長するが、太陽の周辺に行けば危険になります。

そのような(危険な)たくましい生活を送らなければなりません。

私が死んだとしてもその太陽の近くに行き、(危険な)たくましい生き方のできるみなさんにならなければなりません。


地球の上に座って草、風、木のように太陽の光を吸ってはいけません。

太陽のそばに行って「私が死んだとしても」そういう(こわく)強く、(危険な)たくましい生活をしなければなりません。

そういう強い愛がなければなりません。

御父様は、苦労をしない運勢の「小さな手」を持っていらっしゃいましたが、苦労をされてしまった、というみ言葉を読んだ記憶があります。

私の父は、気の毒に「大きな手」を持っていて、苦労しました。

二代目の私は、「小さな手」を持って生まれました。

しかし、苦労に耐えた父からの遺伝で、私の体は素質的には丈夫でした。

子供の頃、「番長」と呼ばれていた、たくましい友達に相撲で勝って、自分も教師も驚きました。
しかし、成長するにつれて、私は「知的な」分野に傾倒し、体や技能を鍛える機会がありませんでした。

私の経歴の中で、「意的な」行動をする上で、それでも支障がありませんでした。

しかし、「荒野」においては、それが弱点になりそうです。


日本サンクチュアリ協会の東京合同礼拝で「再会」した、韓日家庭の婦人との「初対面」は、昨年8月30日の「初巡礼」の時でした。

亨進様は、山中の滝下の池で、私達一人一人に「洗礼」を施して下さいました。

私は、韓国メンバー等に遠慮しながら順番待ちをしていました。

家内は、早くしろと急き立てていました。

それを見ていた韓日家庭の婦人は、私達夫婦を「ボールとバット」と表現しました。

それには誤解もありますが、忘れられない思い出となり、「再会」の時にも笑いました。

しかし、「荒野」においては、本当に「ボールとバット」になりそうです。


「王国」は「荒野」でもあります。

私は「移住」をためらう気持ちもあります。


しかし、冒頭のみ言葉です。
>「私が死んだとしても」そういう(こわく)強く、(危険な)たくましい生活をしなければなりません。


アージュ!


(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com

         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )

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