「白く塗った墓」 それよりも「ガラス張り」
2016年3月20日の亨進様説教から引用します。
実際、イエス様が手を焼いたのも宗教人でした。
罪人をその懐に抱きそして許されましたが他でもない宗教人たちを厳しく糾弾しました。
「白く塗った墓のようだ」と叱りつけたりもしました。
外はきれいにしているが内に偽りがあるというのです。
聴衆、友人、会衆から尊敬を受けはしますが偽りものだというのです。
私の転職歴の中には、船井幸雄さんの「船井総合研究所」が含まれます。
霊の親に導かれる寸前の頃です。
既に私は「求道」していました。
船井幸雄さんも「求道者」ですが、社員は必ずしもそうではありませんでした。
その頃、上司から言われたことが忘れられません。
「堀さんは、正直すぎて損をするね」
ずいぶん時が経ち、家庭連合の礼拝で、ある時、次のような代表祈祷をしました。
「今は11月ですが、新しく宣布された天暦では、まだ10月です。
しかし、摂理的には、今年は今月までだと聞いています。
目まぐるしい摂理の中で、自分はどこにいるのか、分からなくなりそうです」
献金の締め切りを前倒しすることを皮肉ったわけではありません。
素直な祈りでした。
だいたい私は、祈りが苦手です。
ところが先輩家庭から褒められたので、記憶に残っています。
「飾りの無い祈りが良かった」
おそらく私は「白く塗った墓」ではありません。
当ブログも「白く塗った墓」にならないように気をつけています。
それよりも「ガラス張り」を目指しています。
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