一つのルール 罪と罰
日本サンクチュアリ協会アーカイブの「自由について・子女を抱える母親の皆様に何か参考になるかもしれません 」(2014年3月2日の亨進様説教より)から、ヨナ様の証を引用します。
本当にうちの子をどうすればよいかしらと思いました。
そこで夫に相談しました。
あなた、今こういう状況ですと、
すると夫は「そんなに心配しなくてもいいと言ったじゃないか。みんないい子達なんだから心配なんかしなくてもいいよ」
そんなこと言われても心配しますよね。
夫が「わかった。じゃあ、こうしよう。子供たちにやりたいだけテレビゲームをさせてみよう。どうかな」
本当ですよ。皆さん笑っておられますが、夫は真剣にそう言いました。
24時間、365日ゲームをさせてみようと。
あり得ません。冗談でしょ。
まぁ夫は最初そう言ったのですが、
「次の学期で成績を落としたらゲームの時間を半分にする。それ以上続けて落とすとゲーム禁止にしよう」
このルール一つだけ決めました。自分たちで時間管理するためです。
そうして6ヶ月経つ間に、子供たちの様子も良くなってきたのです。ひとりでに良くなったのです。
今彼らは勉強するときも、スポーツをする時も、何をする時でも神様と真の父母様に栄光をお返しするようになりました。
子供たちに感謝しています。
自由に育てても、うまく行く例です。
一つのルールのお陰です。
2016年3月20日の亨進様説教から引用します。
たとえば甘やかされて育った肩書のある若者が社会主義、共産主義といった偽りのイデオロギーを信奉するようになったとしましょう。
そして革命を起こし、無政府状態を作り出そうとしたとします。
現実社会では起こりがちなことです。
そういう時も地域の共同体が対処するのです。
国家レベルで関与しません。
共同体レベルで若者たちと対話を重ねるのです。
暴力を伴うことになればやはり地域レベルで対処します。
そういうことになれば「この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」
この聖句が実現するのです。
子供たちは福祉、つまり無償給付のない社会から出て行かざるを得ないのです。
政府から何も降ってはきません。
それらは王国では違法です。禁じられているのです。許されていません。
自分が蒔いたものを収穫するのです。日々の労働によって獲得するのです。
甘やかして育てて、取り返しがつかない例です。
一つのルールが足りなかったのでしょう。
自由と責任の観点から王国について考える時、エデンの園で神様が与えられた法はただ一つでした。
「取って食べれば死ぬであろう」
亨進様の家庭では、次のようになりました。
「次の学期で成績を落としたらゲームの時間を半分にする。それ以上続けて落とすとゲーム禁止にしよう」
天一国では、次のようになります。
「無償給付を求める者は、追い出されるだろう」
一つのルールを抽象化、一般化すれば「罪と罰」です。
「自由と責任」の一面は「罪と罰」です。
それは「義と栄光」の反面教師です。
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